我々は呼ばれ、そして我は行く
They Call Us and We Go
n engl j med 382;21 nejm.org May 21, 2020
n engl j med 382;21 nejm.org May 21, 2020
雑誌NEJMのコラム(perspective)です。拙訳を下記に掲載します。
コロナに対する個人防護服や人工呼吸器が不足しています。遠隔医療も導入に向けて進んでいます。
接触感染を防ぐ意味で、肘タッチなどと言った行為も出現しています。
今年の3月上旬の夜に催された会合を思い出すと眠れなくなります。それは私が勤務する病院での文学
の勉強会でした。集まったのは病室のスタッフです。
私の提出した作品はWilliam Carlosの詩「Complaint」です。
詩の内容は、ある雪の晩に妊婦より急患としての受診要請があり、その時医師はどのような感情を懐くか
と言うストーリーです。William自身が臨床家です。
プライド、煩わしさ、好奇心、不安、感謝、憤慨、喜びなどの感情リストを私は作成し討論しました。
我々はこれら全ての感情を懐きます。しかし皆との討論の結果は、Williamと同様に要請があれば寒い夜の中に出ていくと言う事でした。
それから2週間もしないうちに、私のもとにコロナ疑いの患者の診察に対する出勤要請が現実として起きてしまいました。最初の私の反応は無視でした。丁度自宅でくつろいでいましたし、コロナは私のような退職間近の高齢者にとってはリスクが高い。更に今から駆けつけても、単に足手まといになってしまうと考えました。若い人に声援を送るのがここは一番と理解しましたので、まるでパソコンに入ってくる情報の様に無視したのです。
しかしその後の2日間は、足の裏の小石の様にどうしたものかと悩んでしまいました。何もしなかったら、それは私自身ではないと気づきました。私はボランティアとして参加する決心をします。
私が勇気のある人間だと理解されるとそれは全く違います。私はどちらかと言うと臆病者です。
ではなぜ参加しよう決断したのでしょう。若い頃の医学学校で学んだ精神でしょうか。
それは遠い30年前の出来事です。研修医の私は、指導医のもとでオンコールの実習をしていました。
そんなある日曜日の晩にポッケットベルが鳴りました。既に私はパジャマに着替えていました。
私が担当する事になっていた50歳の女性Mが、睡眠薬での自殺未遂で救急外来に搬送されたとの連絡でした。実際にまだ私はその女性Mと会ってはいませんでした。救急で安定したら精神科に転院するものと考え、私は電話を切りました。
ベットに横になっても眠れません。私は指導医に電話しました。遅い時間での電話を謝り、そして私は駆けつけるべきかを尋ねました。指導医の答えは「その必要はない。しかしあなたが会って診察をしようと思うなら、その事が大事だ。」
救急外来に到着すると、女性Mは朦朧として横になっていました。私は彼女に今後の担当医であることを自己紹介しました。はっきりとは理解できなかったようです。また、救急の医師は何でこんな夜間に駆け付けたのか訝っていました。なんだか自分が損をしたような、嫌な気分になってしまいました。
しかし女性Mはその日の事を覚えてくれていました。そしてその後の20年間も、私にその夜の事に感謝し続けてくれました。
最近女性Mは残念ながら乳癌で死亡しました。夫からの連絡で訃報を知りました。
そして「あなたが一生の主治医です。」と感謝の気持ちを伝えてくれました。
遠い昔の出来事がフラッシュの様に蘇ります。そして私はコロナの診療に参加する決心をしました。
そんなにすべてが恐ろしいばかりではありません。私の病院は対策を十分にしています。もっと危険な不十分な状態でコロナと戦っている医療従事者がいます。中には妊娠している医療従事者もいます。
それから比べたら、私はリスクが低い環境です。
私見)
等身大のエッセイに感銘を受けました。
何か立派な考えで医療をしていません。強いて言えば悔いが無いようにと思っています。
俗っぽく言えば 「やり残した宿題を今やっている」 感じです。
最近ではWOWOWのエキサイティングマッチを見ています。
そういえば、高校の時に私の剣道の能力を褒めてくれたあの人たちは、どうしているのでしょう。
年をとると、昔のささやかな事を悔いています。
「あなた、剣道をやっていたら食べていけないわ。」
妻の言葉が支えです。
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