著作権法の改正案が文化庁で検討
〜みうらじゅんの言葉を借りて〜
先日朝日新聞に、文化庁で国会に提出するための条文の作成が始まったとの記事が載っていました。
対象は
「作品がそのまま一定のまとまりとしてダウンロードする場合」
「反復継続する行為」 としています。
それに対するコメントとして
・網をかければ萎縮が伴う。
・本当に買ってもらうと言う流れが遮断する。
・出版文化や収益構造はどうあるべきかを広く考えるべきである。
私のブログでの弁解
・医療の共有財産としての論文の価値
・元文献や書籍を直接購入したくなると言った広告的な意義
今後も節度あるダウンロードを試みます。
関係会社の皆さん、ご理解の程よろしくお願いいたします。
私がブログを書いている意味を、敬愛する尊師「みうらじゅん」の言葉を借りて説明します。
「隙間ブログ」「自分じゃなくても理想の自分を盛ればいい」
「比較してはいけない比較三原則、周りの医者、過去の自分、親」
「仕事に飽きた時は自分を追い込む。高い買い物をする。何百万もするやつですよ。可変式大腸ファイバー。業者が市原にはまだないですとの言葉が決め手です。なんて馬鹿な買い物をしてしまったんだろう。職員がそんなものを買うんならボーナスをあげろとか、小ナスをよこせとか、そんな状況に自分をおいやるんですよ。危険な状態に一度入り込むんですよ。」
「井上陽水の歌ではないのですが、真実はなんですか、難しいものですか、まだまだ探すんですか、それよりブログを書いて楽しみましょう。」
「人生の最後のために自分の走馬灯を作るんですよ。本当でない自分の映像を作って盛り込むんです。最後にそれを棺桶のなかから眺めるんです。自分が望んだ自分でない自分、栄光の架け橋、葬儀の時に号泣している家族、葬儀場に入れない位の長蛇の列の患者さん、私が死んでから初めて知った僕のブログ、私の後ろ姿を思い出して子供たちが感謝する、嘘でもいいからそんな写真を走馬灯に盛り込むんですよ。」
著作権侵害のダウンロード全面違法化 (2).pdf