2019年01月21日

勇者はなぜ、逃げ切れなかったのか

勇者はなぜ、逃げ切れなかったのか

田所 真氏に感謝をこめて



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 毎日新聞(1月19日)より、
「岩手県大槌町旧役場庁舎の本格的な解体工事が1月19日から始まった。
東日本大震災の津波により当時の町長や、多くの職員が犠牲になった建物で、工事差し止めを求める
住民訴訟の訴えが2日前に退けられたばかり。18日に着工予定だったが、強風で延期されていた。」 

テレビで、東日本大震災の報道があるたびに私はチャンネルを変えてしまいます。
自分の弱い負の面があるからと思います。旧役場の解体に賛成する人にも、複雑な思いがあると
察しられます。

前文化センター所長で、現市原市立中央図書館館長補佐の田所真氏の著書、
「勇者はなぜ逃げ切れなかったのか」は示唆に富む内容です。


内容を抜粋してご紹介しますと、


 1) 貝塚とは、縄文時代の人たちが貝殻などのごみを捨てた跡です。従って貝塚を調べれば、
    その近くに遺跡も見つかります。貝塚遺跡と呼ばれています。
    縄文人の中には、狩りから海の幸を求めて山から海の近くに住む人も多くなりました。
    その頃から定住がはじまったと考えられています。
    しかし、貝塚遺跡は海の近くにはなく、其れよりも高台に発見されています。
    岩手県陸前高田市の丘の上で、堂の前貝塚が発見されました。
    海と山のちょうど中間くらいです。東北地方の貝塚遺跡は、今回の震災の大津波が到達した
    高さより少し上にあったというたくさんの事実から、生活の便宜性よりも、命にかかわる掟を
    重視し、「集落は高台につくり、決して海辺には住んではいけない」という事も
    受け継がれていたようです。

 2) 今回の震災の復興工事の際に、多くの貝塚が発見されました。
    工事の遅延に繋がりかねませんが、この貝塚遺跡の調査に多くの住民が参加し、
    優先して先人の教えに耳を傾けたとのことです。

 3) 今から1500年前の群馬県榛名山の大爆発で、降り積もる火山灰に埋もれて命を落とした
    「よろい姿の人」が最近発見されました。なぜ、よろいの勇者が噴火から逃げる事が
    出来なかったか、勇者の自然に対する畏怖と、祈りと、神への許しの心がその理由と
    著者は解釈しています。この事がこの本のタイトルにもなっています。

 4) 今から1100年前の陸奥の国で大地震が起きました。貞観地震と呼ばれています。
    地方の要衝として多賀城は発展しました。しかし、この地震で国府のこの町も当時壊滅的被害
    を受けています。近代となり多賀城の町も防災、減災も施されていましたが、それを上回る
    今回の大震災でした。

 5) 土石流で家族を亡くしたある校長先生の、家族に対する墓石とも思われる碑の話は、
    悲しみを乗り越えて語り継がなくてはという気持ちが感動的です。



私見)
 これ以上内容を記載しますと、著作権の侵害となりますのでこの辺といたします。語り継がなくては
いけない内容です。そのため本著書は、小学生の高学年にも分かりやすいように配慮がされています。
是非購買して家族で読んでください。(くもん出版から出ています。)



追伸)
 3月まで、市原市立中央図書館にて原田琴子(斎賀琴子)の展示会が催されています。
 田所真氏には大変なご尽力をしていただきました。
 誠実に生きるとはどういう事かを、この年になり教えていただいた田所さんに改めて深謝いたします。



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櫟原 原田琴子の手紙.pdf






posted by 斎賀一 at 20:46| Comment(1) | 日記